私たちは小学校から中学校まででいろいろな数についての分類を学びました。一例を挙げると
- 自然数
- 分数
- 小数
- 負の数
などがありますが、昔からすべての数があったわけではありません。
これらの数は人々の生活が発展していくと同時に発見・発明されていきました。
そんな数の歴史について時系列順にまとめたので見ていきましょう。
自然数の発見
まず最初に発見されたのは自然数です。
これは大昔(年代はわかりませんが、猿人や原人の時代かと思われます)の人たちが生活するうえで数を数える必要が出てきたために生み出された数だと言われています。
例えば狩りに出かけて獲物をとってきたときとかに今日は何匹のイノシシをとらえたかなど、当時の人類の生活にとってはこれだけでも十分だったわけです。
アラビア数字が広まったのはかなり後のことですから、この頃にはもちろん今のような\(1,2,3,…\)といった数字は使われておらず、数を表す記号を用いてやり取りをしていたようです。
以下は古代のエジプトで使用されていた数字を表す記号です。
かなり年代はあとになりますが、ものを数えるという自然な行為から見つかった数字なので、19世紀ごろには数学者によって自然数のことを「神が創った数字」とか呼ばれたりもしました。
有理数:自然数分の1の分数
\(\displaystyle\frac{1}{2},\frac{1}{3}\)のように分母が自然数で分子が1の分数を単位分数といいます。今から4000年くらい前のエジプトでこの単位分数が使われていたといいます。
人々の生活の中で食料や土地など1つのものをいくつかに分ける必要が出てきて、分数が始まったとされています。
分数を生活の中で発見できたのは、分数は数と数の比で表されており、直観的にも理解しやすかったためなのではないかと思います。
ただ、この頃は任意の分数を表す手段がなかったので、単位分数の和として表していたそうです。
$$\frac{2}{5}=\frac{1}{3}+\frac{1}{15}$$
任意の1より小さい分数は単位分数の和で表すことができることが知られています。(表し方は一意ではない)
無理数:自然数比の分数では表せない数
無理数はピタゴラスの時代である紀元前500年頃に生まれたとされています。
この頃に直角三角形の性質としてピタゴラスの定理が発見されました。
今ではこれを用いて辺の長さが\(1\)の直角二等辺三角形の斜辺の長さを表そうとすると、
斜辺の長さ\(=\sqrt{1^2+1^2}=\sqrt{2}\)
となることは当たり前ですが、当時は√という概念が存在していなかったので、人々は\(2\)乗して\(2\)になる数を自然数の比で表せないか考えていたそうです。
特にヒッパソスという人物が無理数に関しての研究を深く進めていたとされます。
しかし、彼は研究を進めていくうちに\(2\)乗して\(2\)になる数を自然数の比で表せない数があることを発見しまったのです。
それを公表しようとした彼は禁忌に触れてしまったとして海に沈められて殺されてしまったそうです。
マイナスの数
マイナスの概念が認識され始めたのは紀元前200年頃〜紀元前50年くらいといわれています。
この頃に中国では算木という道具を用いて売り上げや税金の計算を行っていたそうです。
その中で、下の図のように赤い算木は売上(正の数)を表し、黒の算木は購入(負の数)を表すように決めて計算を進めていました。
計算後、赤が残れば利益になり、黒が残れば負債になるといった具合です。
同時期の中国の古い算術書である『九章算術』にも負の数についての記述があり、負の数について認識、計算をしていたことが伺えます。
数字のゼロ
これまでの時代で\(201\)などを表す時に使う空位としてのゼロはありましたが、数字としてのゼロが登場するのは5世紀〜6世紀になります。自然数が発見されてからかなり後ですね。
ゼロが発見されるまでは数といえば何かを数え上げるものとしての認識があったため、何もないことを表すゼロについては研究が進められていませんでした。
数字としてのゼロの起源は無や無限についての仏教的価値観を持っていた古代のインドで発見されたという説があります。
ゼロに関する記述がされている最古の書物として、628年に『ブラーフマスプラシッダーンタ』という著書をブラフマグプタというインドの数学者が書いています。この中では、\(0\)に関する概念や演算方法が書かれていたといいます。
しかも、\(\displaystyle\frac{0}{0}\;=\;0\)と定義していること以外は現在私たちが知る演算と同じだというから驚きですね。
昔、ゼロが存在していないことと関係があるかはわかりませんが、今でも西暦を数える時には紀元前1年の次の年は西暦1年として数えていますね。